吐露

地獄だから見るのは自己責任です

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夜になるとグチャグチャになる。3:10だって、もう寝たいのに。ねぇ、どうしよう、わたしって公害みたいなものなのかな。口先だけの元気なメンヘラの社不ってみんな思ってるのかな、思ってるだろうな、そんなの知りたくないのに。マイナスの評価は見ないふりしたいんだよ。このブログだってまた悲劇のヒロイン気取ってるって笑われてるの? 怖いよ。でも人のことを好き勝手言うわたしだけやなこと言われたくないなんて虫が良すぎる、わかってる、いやわかってないけど、わたしの友達なんて片手で事足りる数なのに、わたしのせいで失うなんてばかみたいで……。うわべだけでもいいのに、わたしにどんなこと思っててもわたしが知らなければないのと同じだし、うわべは本当になるのに、一度意識するともう誰とも話したくない。わたしが変わるべきなのに、いつまでもゴミクズで鬱を言い訳にして精神不安定な自分を甘やかしてて、嫌い、ほんとに、嫌い。もぉ、やめたい‼️人の裏側まで気にしてたら疲れるって知ってるのに、もーやだ……。誰とも会いたくない。わたし、不幸自慢しかしないし、もう……。はやく、しにたい。それか何も考えたくない。そこにあるダンボールに入った薬で逃げたい。苦しい。自分のせいだから苦しいとか言うな。ぜんぶお前の行動が悪い。被害者面。死ね。死にたい。ぜんぶやめたい。わたしこんなことしてる余裕も資格もないのに。はやく死なないといけないのに、普通の人みたいに生きちゃいけないのに、なんでこんなことして、死にたい。はやく死にたい。吐きそう。わたし生きてるだけで、生きてるだけで嫌がられて、無価値で、むしろマイナスで、邪魔で、自分のために生きちゃいけないのに、気持ち悪くて、わたし、死ね、健康なのに、つらいってアピールしてて、うざい、わざとらしい、空気悪い、謝れ、ほんとに、迷惑かけたくないって口だけで、もうやだ、わたしが口だけじゃなかったことなんてない、なにもできない、何もしない、やらない、消えたい、わたし何もないし、消えたってかまわないのに、ずっと縋って、逃げて、自分慰めて、最悪で……死にたいって言うのになかなか死なないし、勇気もないのにやっぱり口だけで、でもわたしが本当に死んだらそれがただ一つの証明になるから、がんばりたい。

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どんなに感情を顕にしようとしてもちゃんとした文章を書こうと字下げなどしてしまうので、しっかりと吐露しようとおもいます。

 


健常者になりたくね~~けど病院にいってないし元気だし、、しにてーーさっさと…………いきてても死んでてもそうかわらんのにマジでどうやって生きればええねん、悲観しないで😢とか生きて欲しい😢とかバカボケカスチリダニノミ死ね……………………………………………………まわたしが元気だから何被害者ぶってんねんカスて思いながらサービスで心配してくれてんだろーーけど元気ですいませんね私は精神障害者でもなんでもなくただ社会不適合の人間です……ロープ買った頃の感情ほしいわ、中途半端な甘やかされ生活してると踏ん切りつかねぇまだいいかなってなるだめなのに……何もしてないのに幸せ味わってんじゃねぇ……😄最近自分ちょっと良い感じ🎶とか思ってたか?お前が生み出すもの全て何にもならんただのお遊びの自己満極めたゴミだからやめろ………………………………………………一丁前に人生エンジョイすんな てめぇ カスの癖に ユメショ読んで自分なぐさめるのキショいからやめろ……………… お前周りの人間は皆社会の中で生きてるのに苦しくて見ないふりするの醜いぞ 皆腹の中で馬鹿にしてるんだぞお前よりはマシだってな…………………… 学校の話やめてください地雷ですじゃねぇ‼️学校についてのツイート見る度劣等感でグチャグチャになるからアカウント消そうとしてるもんな……😄当たり前だよな学校サボってるカスだもんな学校なんて行って当然社会に出て当然なのにお前は閉じこもって箱庭楽しんでるもんな、病気でもないのに、病気じゃないお前なんてなんの免罪符もないだらけた人間なのに、生きる権利だけフルに使って遊ぶだけ遊んで………………こんなふうに自分を叱責する姿勢だけで何も変わらないんだ、結局変わる気がこっちにない限り誰だって助けられないんだよお前が手を跳ね除けてるんだよ 最悪だ………………………………………………

02:23

久しぶりの日記。わたしが日記を書き出したということは、大体あんまり良くないことを考えているという証拠にもなる。他人から見れば良いことであるのかもしれない。最近は自殺のこととか考えずに、前にも先にも行かずにただ生きていたから、ここらで向き合っておかないと、うまく死ねなくなる。絶望を忘れてはいけない。不安を忘れてはいけない。楽に慣れてはいけない。この先を無視してはいけない。

もう既にどんよりした気持ちだけどこれをデフォルトにした方が良い。わたしが幸せなのは良くないことだから。許されないことだから。こんなになにもしてないのに、人並みの幸せを味わうなんてありえない。もっと危機感をもって過ごすべきだとおもう。絵が描けるのも、ゲームができるのも、全ては誰かのおかげで、それは主に両親。当たり前のように不自由なく暮らせるが普通になってはいけない。なぜならわたしはすべきことを何一つしていないからだ。甘やかされた状態が続いている。そしてわたしを一番甘やかしているのはわたしだった。

勘違いしてしまいそうになる。例えば、最近わたしはわたしの絵がすきだけど、絵をかけるわたしは別にすごくもないし、えらくもない。歌もそう。だってそれはぜんぶ趣味の一つでしかない。自己満足の遊びに過ぎない。わたしはわたしを好きになってはならないとおもう。せめてわたしが認識できる範囲では、そうありたい。わたしが作り出したものを好きになるのと、自分自身を好きになるのをイコールで結ばないように、気をつけたい。

 


飽きて別日

 こういうのを考えたり書いたりするとそれはもうハチャメチャに気分が悪くなって(物理的にも)、すぐにやめてしまうのが悩みだ。でも自分に向き合っている〝テイ〟でいないと良くない気がする。これ以上坂をくだらないように、ブレーキがかかるように。実際のところこんな抵抗をしたとて何も変わらずに転げ落ちているのだが……。

 このブログ、ほぼ毎回自傷の話をしていた気がする。自傷行為もODも確かしばらくやってない。やりたいともあまり思わなかったけど、最近は冬になったしできるなと思ってここ数日葛藤している。夏は半袖だからガーゼが隠せないので……。

 わたしのリスカは衝動に任せてやることが多かったので、満遍なくおちこんでいるときにはあんまり必要なかった。何不自由ない暮らしをしているから急激におちこむことはないに決まってるし、だからこそ新しい傷もできてないんだけど、傷が薄くなるにつれて元気になりそうでいやになってきた。というか元気なのがばれると言った方が正しいかもしれない。

 元気だと思われたらなんで社会復帰しないんだ! って怒られてしまう。わたしは健康だから、普通の人と同じように生きなさいって……。社会復帰をがんばるよりそこにしまってあるロープで首をつるほうががんばれる。中途半端なわたしは、どちらかに近づくための姑息な手段として自傷を使いたい。社会復帰しない限りわたしはこのまま悲劇のヒロインかまってちゃんメンヘラを拗らせてそこのロープと共に人生をあきらめるってわかるけど、わたしはバイトすらトラウマになっている。学校も

 


 自傷は延命治療にすぎない。

 

 めんどくさい性格だから、誰かに適当に頑張ってるよとか慰められるのもいやだ。この生活のどこに頑張りなんて尊いものがあるっていうんだ。みじめだからやめてください。チンケなプライドを捨てきれないわたしをなぶって殺してくれた方が嬉しいのに。いつまでも生きることに縋るわたしを嘲ってくれれば思い切ってゴールできるかも。わたしはずっと誰かに救ってもらいたいけど、本当の救いなんてこんな人間には訪れないし、掬いあげてくれる誰かなんて現れない。だから、紛い物の救済に頼る。死に頼る。

 本当に吐きそうだけどこういう状態でするODはマジで楽しいんですよね、薬買ってないけど……。

HSPと親といろいろの話

 「どうせもうすぐ死ぬし」という諦めのような自殺願望を抱き始めて何年か経っている。
 昨日、カウンセリングでHSPではないかと言われ、HSPについての本を病院から借りて読んだ。後半は宗教だとかスピリチュアルだとか、そういった話に変わっていったので、日本人であるわたしには、上手く咀嚼することが難しかった。
 HSPであるから生きづらいのか? 性格として片付けられるのではないか? HSPだとわかったから何か変わるのか? 変えられるのか? わたしは本当に統合失調症なのか? 病気を盾に、言い訳に使っているだけの普通の人間なのでは? 幻聴だと思っていたものは実際はただの被害妄想で……なんて考え出すと終わりがない。終わりがないから考えること自体を放棄している。
 私は恵まれた家庭に育ったと思っている。特筆すべき不自由があった記憶もない。最も暴力が無かったとは言いきれないが(首を絞められたことはつい最近のようであるが、実際はそこまででもない、あれから両親はとても優しくなった)、自分の性格がよろしくないのだから仕方がない、両親は私の扱いに困っているだけで、言葉では通じないから他に手段が無いだけ、そのはずだ。嘘だ。いや、嘘ではない。嘘ではないがわたしの中には相反するもう一つの思考がある。わたしは酷い家庭に育った、と思っている。私の生きづらさの原因の殆どは両親にあり、両親を酷く憎んでいる。首を絞めるなんてありえない、わたしに対する愛はどこにもない、両親の言うことは嘘ばかりだ、と。
 どうしてここまで真逆の思考が生まれてしまうのか。どちらがわたしの本当の考えなのかもわからないし、わかってはいけない気がする。仮に二番目に綴ったものがわたしにとっての真実ならば、わたしはとても愚かな人間だと思う。すべてを環境のせいにしているではないか。わたしが自分に失望し、人生の光を見失い、死を望むようになったのはわたし自身の意思であり、誰のせいにもできないはずだ(強いて言うならば病気のせい)。
 まず自分が病気であることがいつまでたってもしっかり認識できないのだ。毎日々々、わたしはもしかして病気ではなく、病気を言い訳にしているただの怠け者なのではないか、そうだとしたらどれだけの人にまた失望されるのだろうか、ああ、いつまでたっても胸を張れない人生! なんて……。実際いつも病名を免罪符に使っているのだ。そこまで重いわけでもないのに! やはり早めに死ぬべきだと思う。
 今この文章はなんとなくで書き始め、適当に思うことを書いているわけだが、わたしが書く文章はいつも同じような趣旨である。思考がループしているようだ。同じことに悩み続けて一向に答えが出ていない、回し車の上で延々走っているよう!
 わたしは人を頼ることが頗る苦手だ。カウンセラーさんにも「今まで自分の力だけで頑張ってきたんですね」なんて言われた。そのような言い方にすれば聞こえはいいが、実際のところ、一人で頑張っているつもりでも、すぐに行き詰まり、結局何も成し遂げられず投げ出してばかりなのだ。なぜ人に頼れないのかカウンセラーさんが真剣に考えていたが、わたしにもさっぱりわからない。何せ幼いころの記憶がほぼないのだ。HSPについての本によると、HSPは現在の問題の原因となった子供時代の出来事を本人が覚えていないことが多いようだ。小さい時の記憶のため覚えていなかったり、あまりにも苦痛だった故にわざと忘れてしまうらしい。わたしはたんに記憶力がないだけのような気がするが。とにかく、本当はもう少し人に頼ることを覚えるべきなのだが、わたしはもうすぐ死ぬつもりなので、そこまで覚える必要性を感じていない。まず頼れると思える友人が少ないのだ。高校は退学してしまったし(先日通信制の高校に入学した)、あまり友人を増やそうとも思わないので、ますます頼ることを覚えられない。家族にも極力頼りたくない。頼って嫌な顔をされたり、不機嫌にさせるのを避けたいからだ。どうでもいいことは頼れるのだが、大事なことは話すことさえ難しい。ふつう両親を頼るのは一等簡単なことだと思うけれど……。
 両親に「愛している」と言われるのがとても嫌いだ。なぜ、と問われると上手く説明できる自信がないが、わたしへの愛について話されると信じられないほどのいらつきに襲われる。きっとわたしは両親(特に母親)に良き理解者であってもらいたかったのだ。わたしがすることに、自身の中では絶対である正しさをもって、逐一口を出す母親は、いつしかわたしをきつく縛り付けているようにしか見えなくなって、愛を感じるより先に、疎ましさと、諦めを感じていたのだと思う。わたしの考えをやわらかく受け止めてもらえる期待への諦め。わたしは今でも理解者を探したくなる時がある。わたしの考えを拒絶しないで、肯定して、あたたかい優しさで包み込んでくれるような。けれど、実際に探すことはできない。まず、気付いた時には自分の考えを吐き出すことが恐ろしくてできなくなっていた。辛うじて文章ならこのように吐露が可能であるので、しばしば書き綴っている。今一等わたしを知っているのはカウンセラーさんぐらいなものだ。わたしは患者なのだから、話す義務が発生する。そう思うとつらつらと言葉が楽に出る。相手も仕事なので否定せず話に耳を傾けてくれるため、大変心地好い。カウンセラーさんに話したことを友人に話すことさえできずに死ぬんだろうな。
 先程から両親に対する不満のようなものを書いてはいるが、謝罪が欲しいわけでも、なぜあの時ああしてくれなかった、などと責めたいわけでもない。わたしの気質と親の気質が合わなかっただけだ。……本当は両親に罪悪感なんかを抱いてほしい、というような気持ちもあるが、それはわたしが自殺した後に感じるんじゃないかしら。わたしに確認するすべはないけれど。親に関しての不満は、些細なことから考えれば掃いて捨てるほどあるのでは、と思うけれども、実際、家族(特に親)に対する不満がない家庭の方が少ないんじゃないだろうか。完璧な家庭の方が珍しいように思える。ハッキリと「自分の両親は自分の良き理解者であり、これと言った不満もない」と言いきれるような家庭はどれくらいあるのだろう。この文を読んだ人に是非とも聞いてみたいものだ。
 そろそろこの駄文にピリオドを打とうと思うが、はたしてわたしが心から生きることを望む日は来るのだろうか。それが薬によるものだとしても。

ハローみらいのきみへ

 私は人間のはしくれである。はしくれである限りは生きるをしなきゃならないみたい。
 生きるってなんだろう。誰かをたいせつにすること? なにかに夢中になること? スキをみつけること?
 どれでもなくってどれでもそう。決めるのはジブンでだいじょうぶ。
 私が生きるをするうえで、したいことってなんだろう。
 私はスキなことをずっとしていたい。おえかきやおうた。カワイイお洋服を着ることだったり。ステージでキラキラしてみたり。
 では、おえかきに絞ろうか。
 私がえがきたいセカイってなんだろう?
 私の腕にはたくさんのキズがある。ゴチャゴチャの感情をぶつけたなごりがある。
 コレじゃないかな。私がつくりたいのは。
 この最悪をぐしゃりと丸めたモノをカタチにできたらどうなるんだろう。このなまなましい傷跡をベツのなにかに消化してみたらどうなるんだろう。
 腕にキズをつけたときみたいにバクハツしそうな胸のまんまでキャンバスに筆を走らせたらどうなるんだろう。
 どうなるかわからないけど、私はソレをしてみたいとおもった。ソレをしていきたいとおもった。ゴチャゴチャのまんまでいい。全てをぶつけたモノを作品にしてみたい。
 たとえそれがどんなカタチでも、やってみたいとおもうのだ。できたモノを愛してみたいとおもうのだ。
 私なりの生きるをキャンバスにぬすくりつけて目をひらきたい。
 そうかんじたから書いてみた、わすれないように。

 実を言うとこれは先程とあるクラスメイトのツイートに感化されたものである。
 突き動かされるみたいな衝動のまま、考えた。私は何を描いて、私は何を好きだと言って、何に焦がれるのか。
 ひどく醜い傷痕が魅力的に見え始めたのはいつからだっただろうか。
 所謂リスカ跡と呼ばれる自傷の傷跡。これをコンテンツとして扱われることがある。イラストであったり、文章であったり。
 案外かわいい絵に仕込まれていたり、暗い要素を入れるために使われたり。とりあえず、病んでる、というのは一種のカテゴリにもなっている。
 私自身の自傷は綺麗な感情で行われていない。自傷している自分に酔っているのかもしれないが、酔ってるだけなら縫うまで切らない。とにかく汚れた感情のごった煮みたいなものをぶつけた結果なのである。
 だからかわいいイラストにスパイスのようにある傷跡があまりにもかわいらしくて苦手だった。
 なのに、リスカを始めてしばらくしてから、自傷を題材にした創作物を好き好んで見るようになった。
 そこには仲間意識がひとつ。それから自傷をする人間の魅力がひとつ。
 自傷をする人間など正常ではない。けれども自傷をしながらに無理をして笑って、醜い部分を取り繕っている人間の生き様のなんと美しいことか。
 そこに美を感じたから、探してでも見るようになった。それから自分の描きたいものはこれかもしれないと感じた。
 表面の傷に隠され渦巻く感情を形にしてみたいと思った。これが今の私の描きたいと思うものだから、忘れないように綴っておく。

憧れと焦げつき

 学校に行く。たったそれだけのことなのに満足にできなくなってからもう半年が経っていた。
 休みがちになってから始めたブログ。当時の思いのまま書き殴られた文。妙にリアルでしめっている。ポジティブなことは一切書かれていない。
 私は最近学校に行っている皆が羨ましくなった。同時に酷い劣等感に襲われた。逃げたくて逃げたくて市販薬をじゃらじゃら飲み込んで吐いたりもしたし、自らの腕を切ったりしてぜんぶを忘れた。
 無駄だった。もう逃げるに足る場所はなくて崖から落ちそうだ。ならばいっそ自分から迎えに行こうと思う。そうして心を粉々にしてリセット。修復の訓練をする。
 だから明日学校に行く。キラキラした高校生活の中にいるクラスメイトに会いにいく。それからのことは何も考えていないけれど。
 もとより人が嫌いなわけではなく、人と喋るのも好きだった。最も今は周りの会話の恐怖で精神安定剤が手放せないのだが、きっと他人じゃなければ大丈夫だろう(と願っている)。
 逃げ続けて留年した醜い私は皆の目にどう映るだろうか。留年だって。くすくす。かわいそう。なんて哀れみの目を向けられたりして。いや、そんなことを思うのは皆に失礼だ。私を虐めるのは私だけで良い。
 もう居場所はきっとないけど、居場所がないって喚くのってなんだかすごく自分勝手だ。自ら捨てた場所、縋って何になるのか。居場所なんていらない。留年した時点であってないようなものだ。何も心配ないだろう。
 きっと今は躁なんだろうけど、もし鬱になってもいいように薬と剃刀を買ってきてしまった。自傷は一番に身近な鬱から逃げる手段だから。傷が多すぎて縫合できなかった汚い腕は長袖で隠してしまえばいい。そうして一生懸命に消えない傷を見ないふりして健常者の真似事をするのだ。
 最初からクラスメイトと相互のアカウントに載せるつもりで書いたブログなのにいつものように暗くなってしまった。全記事こんな感じだ。仕方ない。頭痛が酷いので、短いけど終わりにして寝ようと思う。

瘡蓋にもならない

 最近リスカをしようとしたんですけど、怖くて切れませんでした。え?
 今日は私が父親に首絞められて救急車で搬送されたはなしをします。


 私が父親に首を絞められる前日、人生初のODをした。それも衝動的に、家にあった風邪薬と処方薬を。後から調べれば2シートくらいザラザラ飲み込んだ風邪薬は胃に悪い成分ばかりだった。
 吐き気とふわふわした感覚のままに腕をスパスパ切って、適当に包帯をグルグル巻いてそれから夢の中へ逃げたらしい。
 翌朝、腕を見たら血が滲んで乾いた包帯が乱雑に巻かれていた。慌てて包帯をとると、ここまで切った記憶がない深い傷がたくさんあった。血は容赦なくダラダラと出続けていた。慌てて洗ってガーゼを貼り付け、した覚えのないツイートと友達に送ったメッセージにざっと目を通して、昨日のことを思い出そうとした。まだ足元がフラフラで頭もクラクラしていた。傷の深さに少し焦って調べた結果、リスカの深い傷にはラップを巻くといいらしいと出てきたのでラップを巻いてから昼寝をした。これがよくなかった。
 夜。母親が起こしに来た。同時に、寝ている私の腕に巻かれたラップと傷を視界に入れた。私は何も知らずにトントンと階段を降り、リビングに向かった。
 重苦しい空気だった(無論原因は私にある)。誰も何も話さないまま、座って食事をした。ふいに父親が、
「そんなくだらねぇことするなら出てけ」
 とこちらを見ずに言った。


 書いてて気分が悪くなってきたので続きは明日以降にすることにします。
 少しトラウマになってるみたいなんですよね、忘れないうちに記録しておきたいのに。最近母親の機嫌が悪いとパニックになります。また殴られるかもって考えてしまうらしく、友人に助けてくれとメッセージを送ったりしていました。
 腕の傷、縫う予定だったんですが多すぎて無理らしく、結果見事なケロイドが出来上がりました。時折猛烈な痒みに襲われます。ただ今同じくらい切るのは絶対に無理です。痛いの嫌いだし怖いので。ODしなきゃこんなことにはなりませんでした。
 結局今回父親が激怒したのは私のせいでしかないんですよね。私に非があります。殺すぞとか言われましたし、首も絞められましたが……。忘れていましたが、リスカなんて普通に生きてれば気持ち悪い、理解できないもののカテゴリに入るんですよね。そりゃあ拒絶しますよね。もう腕に傷があるのも見慣れて私にとっての当たり前になってますが、常人はこんな汚ったない腕してませんもんね。
 けどよくわからないのが、両親絶対私のこと好きじゃないでしょ、という。好きなら暴力振るわないかって言われたらちょっと違う気がしますが、愛ゆえの暴力ですかね、あれは。愛があっての暴力なら許していいわけじゃないですが。昔にも殴る蹴るされましたが、あれも愛だったんですかね。殴られているとき私から見る母親の顔は本気で憎んでいそうでしたが。私の首を絞める父親の顔は本気で私を殺そうとしているように思えましたが、どうなんでしょうか。きっと考えてもわかりませんが、行動は憎い相手にするものですよね。両親は私が憎いのか。ただ怒らせた私が悪いのか。よくわかりません。判断もできません。
 今後また殴られるようなことがあれば、そのときは両親の顔をしっかり見ておこうとおもいます。