ハローみらいのきみへ
私は人間のはしくれである。はしくれである限りは生きるをしなきゃならないみたい。
生きるってなんだろう。誰かをたいせつにすること? なにかに夢中になること? スキをみつけること?
どれでもなくってどれでもそう。決めるのはジブンでだいじょうぶ。
私が生きるをするうえで、したいことってなんだろう。
私はスキなことをずっとしていたい。おえかきやおうた。カワイイお洋服を着ることだったり。ステージでキラキラしてみたり。
では、おえかきに絞ろうか。
私がえがきたいセカイってなんだろう?
私の腕にはたくさんのキズがある。ゴチャゴチャの感情をぶつけたなごりがある。
コレじゃないかな。私がつくりたいのは。
この最悪をぐしゃりと丸めたモノをカタチにできたらどうなるんだろう。このなまなましい傷跡をベツのなにかに消化してみたらどうなるんだろう。
腕にキズをつけたときみたいにバクハツしそうな胸のまんまでキャンバスに筆を走らせたらどうなるんだろう。
どうなるかわからないけど、私はソレをしてみたいとおもった。ソレをしていきたいとおもった。ゴチャゴチャのまんまでいい。全てをぶつけたモノを作品にしてみたい。
たとえそれがどんなカタチでも、やってみたいとおもうのだ。できたモノを愛してみたいとおもうのだ。
私なりの生きるをキャンバスにぬすくりつけて目をひらきたい。
そうかんじたから書いてみた、わすれないように。
実を言うとこれは先程とあるクラスメイトのツイートに感化されたものである。
突き動かされるみたいな衝動のまま、考えた。私は何を描いて、私は何を好きだと言って、何に焦がれるのか。
ひどく醜い傷痕が魅力的に見え始めたのはいつからだっただろうか。
所謂リスカ跡と呼ばれる自傷の傷跡。これをコンテンツとして扱われることがある。イラストであったり、文章であったり。
案外かわいい絵に仕込まれていたり、暗い要素を入れるために使われたり。とりあえず、病んでる、というのは一種のカテゴリにもなっている。
私自身の自傷は綺麗な感情で行われていない。自傷している自分に酔っているのかもしれないが、酔ってるだけなら縫うまで切らない。とにかく汚れた感情のごった煮みたいなものをぶつけた結果なのである。
だからかわいいイラストにスパイスのようにある傷跡があまりにもかわいらしくて苦手だった。
なのに、リスカを始めてしばらくしてから、自傷を題材にした創作物を好き好んで見るようになった。
そこには仲間意識がひとつ。それから自傷をする人間の魅力がひとつ。
自傷をする人間など正常ではない。けれども自傷をしながらに無理をして笑って、醜い部分を取り繕っている人間の生き様のなんと美しいことか。
そこに美を感じたから、探してでも見るようになった。それから自分の描きたいものはこれかもしれないと感じた。
表面の傷に隠され渦巻く感情を形にしてみたいと思った。これが今の私の描きたいと思うものだから、忘れないように綴っておく。