吐露

地獄だから見るのは自己責任です

まとも

まともに息ができたらよかった。
薬なんていらない、不安に耐えられる、腕を切らなくとも生きていけて、学校に行って課題を出して、友達なんてやつと笑って、幸せが感じられるそんな生活ができればきっと、こんなこと思わずにただ生きていられた。
負の感情が常にジェンガみたいに積み上がってて、どこかが飛び出れば全部崩れて、ぐちゃぐちゃに濁流で、溺れて息が出来なくなる。幸せはかき消される。
今したいことは、手首を切るくらいしか思いつかなくて、あんなに楽しかった絵も描けないし、ゲームも味気ないし、動画をぼーっ見て、寝たきりで、一日ずっとなんの得にもならないことをして終わる。
どこで道を踏み外したんだか分からない。でも小学生のときのうっすらとした記憶では、自分が嫌いでたまらなくなって死のうと思ってた。それは嫌なことがあったときだけだったけど、今となっては常にそうで、いつだって死が近くにある。
生きる価値とか、意味とか、全部無いように思えている。指折り数えることすら困難で、両親や友達、先生に謝りたい気持ちがつのるし、薬を飲まないと学校にすら行けないし、まずい頓服を飲まないと腕を切っちゃうし、というかもう既に傷だらけで汚いし、考えるのが最近難しくて取り柄もなくなって、あれ、本当にどこに生きる意味があるんだろう。
普通に学校に行けるようになったらそうしたら、きっともうちょっとまともな生活がおくれる。学校に行けた日の方が死にたさは薄れるし、申し訳なさも軽減されるけど同時に、行けることが普通にすらなっていないことを自覚して死にたくもなる。どっちにしろ死にたいんじゃないか、ってわけだ。
この死にたがりが治るのは想像出来ない。だって本当に、小学生から結構思っていたし、中学では更に思っていたし、しょぼい自殺未遂もした。この思考回路はどうにも筋金入りらしい。
まともになりたいって思っている時点で、私はまともじゃないってことだ。もし普通に学校に行って、死にたいなんてこれっぽっちも思っちゃいない人達から、ほんのすこしほんのひとかけら、パンの耳くらいのぶんの「まとも」を分けてもらえたなら、同じように生きられたりするのかな。
最近死にたくない日はあったためしがないし、一週間以上腕を切らなかったこともないし、当たり前のように学校を休むし、なんの意味もなくこんな文を書いてごみみたいな日々を消化している。辛いなんて思っちゃいないし烏滸がましいんだよな。
元気もやる気も努力もどこにも見当たらない生活で、どんどん腐っていく、そのうち腐敗臭で肺が満たされて死んじゃえばいいのに。

嘘、本当は苦しい、苦しくてたまんないよ。傷だらけの手首を見て安心してる生活で、クラスメイトと話して笑ってる時もずっと、罪悪感でごちゃごちゃで、こんなメンヘラと話すの嫌かな、ごめんな、って謝りたくて、毎日死にたくて、不味いってわかった頓服は飲むより手首きったほうがましだし、授業おくれてて英語は全然ついてけないし、そのくせ勉強する気もない。期末が迫ってるのに、このままじゃ赤点だし、せめて授業に出たいのに休むし、優しくなった両親への罪悪感でしにてぇし、自分が嫌いなふりしてるけど本当は自分大好きなのが気持ち悪くて吐きそうになるし、あと授業中突然死にたくなって吐きそうで体がぶるって震えちゃうし、それが周りにどう見えてるのかわかんないし、しにてぇ。死にたいよ。死ぬ勇気なんてこれっぽっちもないから自傷だけどんどん増えてって、今は手首きるのと自分の首を絞めるのがやめらんなくて、薬は効いてるのかいまいちわかんないけど、飲んだらちょっとはまともになれるかも、ちょっとは頼らせて、もっと増やしてほしいし、今日の夜親が寝たらすぐ切る予定だからそれまでにこの希死念慮とかいろいろをどうにかしてほしい。なぁメンヘラって思うだろみんな、そうだよなぁ、これがメンヘラじゃなかったらなんなの、こんな気味悪い生き方しかできない私がメンヘラじゃなかったらなんなんだよ、こんなゴミみたいなブログで喚くようなさ。