吐露

地獄だから見るのは自己責任です

堕落、墜落、奈落

 さて、これを書き始めた時点での時刻、午前一時五分。
 自分へ、寝なさい。自分より。
 と言っても明日が不安で眠れない。だから文でも書いて、その不安を整理してみようかな、と思い立ってみた。


 まず、現在の話。
 限りなく不登校に近いと言っていい。理由は後に掘り下げるとして、今は行く気があるのか、という点から考えていこうと思う。
 シンプルに学校に行くのが恐ろしくなってきた。
 理由、何も出来ないから。
 そんなのは今に始まったことでは無いのだが、ことさらに、である。ここ数日一気に色々なことが出来なくなった。……気がしている。

 ひとつ、絵が描けなくなった。
 実際問題これがかなりの苦痛である。それはひとえに、私の在籍する学科が芸術科であるからして、大問題ということからだ。
 絵が描けない、と言うのは少し語弊があった。描けることには描けるのだ。但しそこには目標がない。つまるところはらくがき程度のものしか描けない。
 思考が難しい。あれが描きたい、これを作りたい、そういう欲が出せない。だからまともなものが描けない。
 明日……日付が変わっているので今日になるが、今日の授業は全て美術。思わず頭を抱えてしまう。こんな人間がちゃんとしたものを生み出せるとは思えない。そこから不安が生まれている。と思う。
 書いていてだんだんと苦しくなるのはこのブログの問題点だ。

 ふたつ、希死念慮
 ちょっとしたことで死にたくてたまらなくなる。それがとても不便だと感じる。
 腕には既に数多の傷跡があるが、すぐに上から切りつけたくなる。流石に学校で切ると処理が面倒で余り深くも切れない、というのはこの間学んだ。
 切ると暫くはこの希死念慮から逃げられる。かなり前向きになれるし、頑張ろうという気持ちも湧く。尚、そこまで長くは続かないが。
 逆説的に言えば、切らなければなかなかこの死への欲求には抗えないという訳で、だんだんと死が身近になっているように思える。
 例えば不安や焦燥に晒されれば、自分の弱さを嘆き、またそこから逃げたくなって死を願う、というのがお決まりのパターンだ。
 ただ、何も考えていないときだって「あ、死にたい」と割り込まれるのはいつものことで、ここ数週間、死にたいと一度も考えなかった日は無かった。一日に一回は必ず希死念慮に苛まれる時間がある。そりゃあ腕を切りたくもなる。
 先日学校で頓服の薬を飲んでみた。主治医には「腕が切りたくなったら飲んでね」と言われたから、授業中の教室に入るのが恐ろしくて切りたくなったときに飲んだ。
 感想、不味い。
 とてつもなく不味い。不味い。声が出る不味さだった。余りの苦さにのたうち回った。グレープフルーツの苦味を濃くしたような味だった。
 そして、副作用が酷い。主に眠気。それから頭に靄がかかったようなふわふわした感じで、思考が纏まらない。
 学校で使うには適していなさそうだ。いよいよこの希死念慮に立ち向かえるものは自傷ぐらいしか無くなった。どうしろって言うんだ。


 そろそろ寝ようと思うので、また明日以降に加筆しようと考えている。寝たら学校かと思うとたまらなく腕が切りたい。